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川口敦子

「24時間は働けない…!」「これってマミトラ…?」そんななか、周りの人とどうコミュニケーションをとった?



報道現場で、子育てと仕事の両立を目指して日々奮闘する皆さんに、「そこんとこどう?」を聞く新企画「ウチらの子育て」がスタートしました!この回では、3人の記者・デスクに、24時間は働けないなかで、周りとのコミュニケーションの取り方などについて心がけていることを聞きました。それぞれの経験と知恵が、読んでくださったあなたの参考になれば幸いです。(聞き手・川口敦子=フリーランス)

【この回では、次の皆さんの記事を読むことができます】 (記事はこちら)をクリックすると、それぞれの記者の記事に飛びます。スクロールしていって、全員の記事を通して読むことも可能です。


溝上由夏さん(テレビ朝日)

一人で全部やろうとして抱え込み、「マミートラック」に陥ったことも。取材先で出会って意気投合した記者との仕事が大きな転機になりました。

(溝上さんの記事はこちら) (プロフィール) 1981年生まれ、2005年テレビ朝日に入社。社会部警視庁担当を経て、2011年に長女、2017年に長男を出産し現職。ドキュメンタリー番組「女性議員が増えない国で」が2023年、「メディア・アンビシャス大賞」優秀賞を受賞。第1回日韓女性記者フォーラム日本側代表。


氏家寛子さん(NHK)

「大丈夫そうだったらやってみる」「やってみたら、あ、できる」という積み重ねで、だんだんに自分がやりたいと思う取材ができるようになっていきました。 (氏家さんの記事はこちら)


(プロフィール) 1987年生まれ。2010年NHK入局。水戸局が初任地で、岡山局、新潟局を経験。2019年から首都圏局に所属し遊軍担当。2016年に長男を、2019年に次男を出産。

保育や介護など生活者の視点を大切にした取材を多く手がける。


松田尚康さん(岐阜新聞社)

遊軍キャップとして、お互いの状況を理解し合えるようにコミュニケーションを取り合うことを心がけています。 (松田さんの記事はこちら) (プロフィール) 1980年生まれ。2006年に岐阜新聞社に入社し、警察担当、中濃総局、司法担当、中津川支局、岐阜市政担当、本巣支局、県政担当、デジタル報道部、運動担当を経て、2023年1月から遊軍担当。長男の誕生に伴い、2回に分けて計約8カ月間の育休を取得。


溝上由夏さん テレビ朝日報道局 報道番組センター「スーパーJチャンネル」ニュースデスク

一人で全部やろうとして抱え込み、「マミートラック」に陥ったことも。取材先で出会って意気投合した記者との仕事が大きな転機になりました。

溝上由夏さん(2024年2月21日、東京都港区で川口敦子撮影)

私はニュース番組のデスクであるとともに、小学校6年の長女と、保育園年長の長男(取材時)がいる二児の母です。長女は1歳ごろにはよく熱を出しましたが、当時スーパーJチャンネルにいた私は、そのことを回りに言えなくて。夫は単身赴任で不在だったため、一人で全部やろうとして抱え込み、「マミートラック」に陥っていました。振り返ると、暗黒期でしたね(笑)。

 

そんな風にモヤモヤしていたときに、東京都内で保育園に入れない子どもたちがおり、入園できなかった子どもの保護者たちが、改善を求めて声を上げ始めたと知りました。「待機児童問題」です。保活に苦労した経験がある私は「わがこと」のように感じ、関係者に取材してニュースにしました。ニュース番組のトップが、その問題を理解してくれたのも有り難かったです。各局も追いかける形でこの問題を報じてくれて、手応えを感じました。

 

私にとって大きな節目になったのが、取材先で出会って意気投合した朝日新聞の記者(岡林佐和さん)が、テレビ朝日に出向してきたこと。日ごろから「男性に腹落ちしてもらわないと、ニュースが出ていかない」ということにモヤモヤしていたのですが、労働問題に詳しく、ご自身も保活に苦労された経験がある岡林さんが来てくれたタイミングで、「私たちがピンときたことをやりたい。今しかない!」と思い、当時妊娠中だった経済部の記者(進優子さん)も加わってくれて、ドキュメンタリー作りに向けたチームを立ち上げました。

 

こうして2022年に制作したのが、テレビ朝日ANN系列各局が独自に取材・制作するドキュメンタリー番組「テレメンタリー」として放映した「女性議員が増えない国で」です。 「24時間働けない」からこそ生まれたドキュメンタリー「女性議員が増えない国で」が受賞 その裏にあった働き方改革とチーム力 | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ なぜ、日本の女性議員の割合が世界最低レベルのままなのか。「24時間、戦えないけれど」を掲げ、選挙を戦った子育て中の40代の女性議員、そして「2つの均等法の母」と呼ばれる92歳(制作当時)の元労働官僚、赤松良子さんらに密着し、それぞれの立場で起こす地殻変動を追いました(赤松さんは2024年2月、94歳にて死去)。 ドキュメンタリー制作にあたっては、課題もありました。私はニュース番組のデスクなので、昼間は自由に動くことが叶いません。デイリーのニュース番組は「短距離走」。その日冷蔵庫を開けて、とにかくきょうのごはんを作らないと、というのと似たような感じで「鮮度」が優先されます。一方でドキュメンタリーは「長距離走」です。いろんなところに出向いて密着取材し、撮影した画を持ち帰って原稿を書き、素材を編集するには、一定の時間が必要です。 ただ私も含めてチームのメンバーはみんなそれぞれ日々の仕事があって、家事も育児も抱えていて、とにかく時間がない。メンバー同士で「この日の、この取材なら私行ける!」と情報交換しながら、パズルを組み合わせるようにして、取材に走り始めました。

私が自由に動けないときでも、岡林さんが現場取材に行ったり、進さんが有識者にあたってくれたりする。こうして撮ってきた画像をサーバに入れておいてもらったら、私が翌朝それを見て文字起こしをして原稿を書き、チームのメンバーに編集を依頼してから出社する。こんな分業体制で「画を撮る」→「共有する」→「確認して微修正する」という作業を進めていきました。

 

最終盤の作業に加わってくれたのも、育休から復帰したばかりの映像編集者(大川絵美さん)でした。多くの場面は大川さんが在宅で編集し、すりあわせが必要な場面ではMicrosoft Teamsで画面を共有しながら編集を進めていきました。 こうした手法は、私たちの業界では一般的ではないため、上司から「大丈夫か」と心配もされましたが、そこは大川さんとの「共感の感覚」が同じなので、不安はありませんでした。チーム内で大きなゴールが共有できていて、お互いの信頼関係があったからこそ成り立ったのだと痛感しています。


溝上由夏さん(2024年2月21日、東京都港区で川口敦子撮影)

 

氏家寛子さん NHK首都圏局コンテンツセンター 記者 「大丈夫そうだったらやってみる」「やってみたら、あ、できる」という積み重ねで、だんだんに自分がやりたいと思う取材ができるようになっていきました。

氏家寛子さん(2024年1月29日、東京都渋谷区で川口敦子撮影)

2016年に長男を出産し、約1年の育休を取りました。2010年に入局してからこんなに長く仕事を離れたことがなかったので、過去に育休を取った先輩からアドバイスをうけて、自分がいなくても仕事が回るよう入念に仕事の引き継ぎをしました。当時は選挙担当でしたが、局内向けの候補者調査などのメールには必ず上司をCcに入れて、どんな調査があり、いつが締め切りなのかを上司とこまめに共有するようにしました。また、後回しにしがちな選挙のメモの整理も、すぐに候補者ごと、選挙区ごとにファイリングすることで、いつ誰が見ても分かりやすいようにしておくことを心がけました。

 

約1年の育休を経て、遊軍担当として復職した地方局は所属記者の人数が少なかったので、復職後もなるべく周囲に負担がいかないよう気を遣いました。突然の保育園からのお迎えコールなど、何かあったときに仕事を代わってもらう可能性が大きい若手の記者とは、一緒にランチに行ったりして、できるだけ多くコミュニケーションをとったりするようにしていました。それから、日々の細かい原稿や話題ものの原稿を多く書くなど、勤務時間内で役に立てるように努めました。

 

ただ、正直な気持ちとして、ときどき「球拾い」をしているような感覚になることもありました。本当は、出産前の担当だった選挙や県政の仕事を担当したい気持ちもありましたが、上司を始めとして周りの人が、勤務時間が限られている自分の状況を配慮してくれた結果だということは分かっていたので、「ちょっとさみしい」「でもそれを言ったら、わがままだと思われる?」とモヤモヤする思いを抱えていました。いわゆる「マミートラック」に乗りかけていたのかもしれません。

 

現在所属する首都圏局では、次男出産後、2019年から遊軍を担当しています。当初は、割り当ての「街ネタ」を中心に取材をしていました。スクープを取ってくるような仕事ではないけれど、そのときの自分に出来る精一杯で「なんだろうと、とにかく楽しんでやろう」という気持ちで取り組んでいたところ、その姿勢は周りの人にきちんと見てもらえていて、幅広く仕事を手がける機会をもらえました。その後、「遅い時間の取材だから無理だろう」と最初から決めつけるのではなく、「大丈夫そうだったらやってみる」「やってみたら、あ、できる」という積み重ねで、だんだんに自分がやりたいと思う取材ができるようになっていきました。

 

今は、上司や先輩と積極的にコミュニケーションをとって、今後立ち上がりそうなプロジェクトの情報を得たら、早めにリサーチに動き出すように心がけています。子ども(取材時:長男7歳、次男4歳)が小さいうちは、災害や事件など突発のニュースに対応しづらいのは事実。だったら早めに動いて、自分にできる企画を積極的に提案していこうと日ごろから考えています。


氏家寛子さん(2024年1月29日、東京都渋谷区で川口敦子撮影)


 

松田尚康さん

岐阜新聞社本社報道部 記者 遊軍キャップとして、お互いの状況を理解し合えるようにコミュニケーションを取り合うことを心がけています。


松田さん提供、一部画像を処理しています。

 

私は本社報道部で遊軍キャップを務める記者で、同じ会社で働く記者の妻と長男(取材時2歳)と暮らしています。遊軍の通常業務は、地方版や県内版に掲載する記事を取材して書くことです。警察などの記者クラブの所属ではないので、比較的早く帰宅しやすい環境ではありますが、私は17時半には長男のお迎えがあることを周囲に伝え、だらだらと仕事をしないように心がけています。

 

私自身が育休を取得したこともありますし、同僚には「育児に関心が高いのだろう」という印象を抱かれていると思います。こちらも子どものことを話すこともありますので、私が夕方に「お疲れさま」と言って出ても、「子どもの迎えがあるんだな」と受け止めてもらえているのではないかと想像しています。

 

ただそれと同時に、遊軍キャップとして、お互いの状況を理解し合えるようにコミュニケーションを取り合うことを心がけています。遊軍記者の中でも、「週末は出ても構わないが、特定の曜日に休みを取りたい」「平日はいつでも出られるが、週末には必ず休みを取りたい」などと、それぞれの家庭の事情によって希望は異なります。そのため、あらかじめお互いの希望を伝え合った上で取材予定を分担し、皆の休みの希望が叶えられるように調整しています。

 

そうは言いつつ、私も夜に開催されるセミナーなどで、興味を引かれるものがあるときには、「自分で行って取材したい」と思ったり、「もう少し原稿を書きたい」と望んだりすることは何度もあります。ただ、育児と仕事の両立を図るためには、許容できる範囲内で「何かを諦める」ことも必要なのではないか。自身にそう言い聞かせ、心のバランスを取るようにしている日々です。


松田尚康さん(松田さん提供)



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